1990年代生まれの漫画論。

大事なこと・好きなことを忘れないように。欲しいものを叫び続ける。

ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』を読んで その1

ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』を読んで その1

はじめに

 好きなことを叫び続けたいと常に思っているものの、そもそも好きなことってなんだろう??具体的になにを叫びたいんだろう????という疑問がついてまわります。

 この疑問に向き合うために先人たちの知恵を求めるべく、何気なくAmazonで「神話」「英雄」というキーワードを打ち込んだところ、ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell、1987年没)というアメリカの神話学者のことを知りました。

 さっそくこの先生の入門書のようなものにあたる対談集『神話の力』http://amzn.to/2lXzko2を購入しましたが、まさに人類の宝と呼ぶに値する内容の濃さでした。

 重厚で難解な神話談義の通読にはに四苦八苦しましたが、それでも何とか読み終えて、得るものがあったような気がしたのでなにか感想を書こうと思います。

 正直にいって、マンガ論を語らんとするこのブログとは結びつきづらい内容かもしれないけど、それでも非常に示唆に富む本なので、思考の整理がてらに記事を作り、その成果を少しでもこのブログの読者に還元できたらな、と思います。(たとえそれが稚拙な読者感想文であっても、その行動には意味があると信じたい。)

 難解かつ膨大な内容の本の感想を一記事に言いたいことをまとめることは、スペース的にも私のキャパシティ的にも不可能なので、思考の整理ができたものから順にいくつか記事を投下しようと思います。

 というわけで記事を書いていきます。

記事本編

まず初めに

 まず初めに、『神話の力』のAmazon紹介文(「BOOK」データベース)には、以下のように紹介されています。

世界中の民族がもつ独自の神話体系には共通の主題や題材も多く、私たちの社会の見えない基盤となっている。神話はなんのために生まれ、私たちに何を語ろうというのか?ジョン・レノン暗殺からスター・ウォーズまでを例に現代人の精神の奥底に潜む神話の影響を明らかにし、綿々たる精神の旅の果てに私たちがどのように生きるべきか、という問いにも答えていく。神話学の巨匠の遺作となった驚異と感動の名著。

この本はキャンベルとモイヤーズの対談という形式で進んでいきますが、その終わりはこのように締めくくられています。(抜粋)

キャンベル そう。言葉はいつも限定であり、制約です。

モイヤーズ それはそうですが、先生、しがない私たち人間に残されているのは、このみじめったらしい言語だけです。それは美しいけれども不十分なものだから、なにかを表現しようと思っても……

キャンベル そのとおりですね。だからこそ、すべての言語を超越することが絶頂体験なのです。折にふれてあらゆる言語を超えて悟る―――「おお……ああ……」

              『神話の力』(第八章 永遠性の仮面)より抜粋

 上品な音楽を聴いているかのような錯覚すら感じるテンポで進められる対談は、言葉の不完全性にふれることによって幕を閉じています。

 そう、この言葉の不完全性というものが、本書の重要なキーワードになっているのです。簡単に説明すると、なにか大切で伝えたいことや、真理めいた命題があったとしても、それを言葉にした瞬間その価値が失われてしまい、結局何を言いたいのか当人ですら分からなくなってしまう、ということです。

 

マンガこそ希望なのでは?

 

 言葉が不完全というのならば、絵がついている「マンガ」はどうなんだ??「マンガ」こそ希望なのではないか???と思うわけですが、残念ながらキャンベル先生はマンガの類については一切ふれていません。もっぱら神話の内容について語られています。キャンベル先生にとって、マンガのように娯楽を目的とした作品は「民話」であり、神話とは区別されて扱われているのです。

 モイヤーズ すると、私たちが言う民話とは、神話ではなく、一般民衆が自分の楽しみのために語る、あるいは偉大な精神的遍歴者よりも低いレベルの存在について語る物語なんですね。

キャンベル そうです。……(以下略)

              『神話の力』(第二章 内面への旅)より抜粋

 本書では『スター・ウォーズ』のような娯楽作品からたびたび神話的要素を見出しているため、民話の価値をなにもかも否定する意図は一切ないと思われますが、それでも本書の焦点は現代文化にはまったくあてられていません。

 それでもマンガ論として、(そして好きなことを叫ぶことそれ自体に何かしらの希望を見いだそうとしている者にとって)、なんとか本書を関連付けてこのブログに感想記事を書きたいと思ったのは、先生と私の問題意識の根っこが同じところにあると確信しているからです。 この対談の一場面をみてください。

モイヤーズ 社会がもはや強力な神話を持つことをやめてしまったとすると、どんなことになるのでしょう。

キャンベル いま私たちが手にしているものです。一切の儀式を失った社会がなにを意味するか知りたければ、〈ニューヨーク・タイムズ〉を読むんですな。

モイヤーズ そこに見つかるのは?

キャンベル その日その日のニュースです――文明社会でどう振る舞えばいいか知らない若者たちによる破壊行為や暴力ざたなども含んだ。

              『神話の力』(第一章 神話と現代の世界)より抜粋

  若者の素行の悪さの原因を一方的に神話にもとめるキャンベルの考えには諸手をあげて賛成しづらいですが、それでも「文明社会でどう振る舞えばいいか知らない若者」というキーワードは、マンガ論を語るうえでも重要になります。

 たとえば、単純な話になりますが、時代の変化が速すぎて、マンガの作者・語り手が最近の若者のことを理解することが困難になっています。コミュニケーション方法をひとつとっても、小学生の頃からLINEに慣れ親しんだ世代と30代以上の人間では、どうしてもギャップがあります。

  あまりマンガ論的なことは語っていませんが、長くなりすぎる前にここでいったん切ります。

 続きは思考がまとまってからです。いつになるかは分りませんが……。なるべく早くになるよう頑張ります。