1990年代生まれの漫画論。

大事なこと・好きなことを忘れないように。欲しいものを叫び続ける。

ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』を読んで その3 マンガの物語の精巧さ・速効性

マンガの物語のレベルについて

 

 

 その2でも書きましたが、マンガには私たちの気分を精神的なレベルにまで持ちあげてくれる力があるはずです。それにあたって作品のストーリーに精巧さが求められるとは思いません。このシリーズの一番初めの記事にも書いたように、言葉はそもそも不完全なのです。気分が高まり意識が精神的な領域にまで持ちあがるキッカケなんて、そう大層なものではないではないか、って思うのです。(たとえば私は、あえて、この例をだしますが、『いちご100%』を一気読みした時、女の子たちが夢を追う主人公を応援しているのに感化されて、間違いなく自分の精神はこのレベルにまで高まっていました。また『棺担ぎのクロ』という隠喩的でありながら精細なタッチで描かれたマンガにも、私のテンションは高まっていました。)

 

 キャンベル先生の対談をみて思ったのは、テーマにされる神話の話のレベルが両極端すぎるということです。幼児が聞くような「おとぎ話」のようなものにときどき、ふれられますが、その他のほとんどが「世界とは何か、なぜ生きているのか、生きていくために生き物の命を奪うこと……」のような話です。後者のような物語のことを語りたがるのはきっと、キリスト圏の国に生まれて幼いころから聖書の創世記等の物語にふれてきた人間の宿命のようなものなのだろう。と、日本人の私は勝手に思っています。もしかしたら日本でマンガが発達したのは、そういった宗教的な背景の差異によって生まれる物語への発想力の方向性の違いが大きな要因かもしれませんね。おとぎ話と創世記のような物語の中間みたいな娯楽作品の意義についてあまり語られていなかったことは残念に思います。(そこは先生の専門外になることは分かっていましたが……)

 

 キャンベル先生の有名な合言葉のようなものに「自身の幸福を追求しなさい"Follow your bliss."」というものがあります。自分はこれを、自分自身の魂にしっかりと耳をかたむけて自分がやりたいことをしっかりと見定めよう、という意味で理解しています。そして自分自身の魂と向き合う時に自分自身を見失わないように助けてくれるのが神話だ、というのがキャンベル先生の持論でした。私もそのような助けてくれる存在がいつの時代でも必要だと思います。しかしその一方、現代ではそもそも神話の内容そのものが非科学的で眉つばモノすぎて「陳腐なもの・古臭いもの」に感じられるので使い物にならなくなった、ともキャンベル先生はたびたび言っています。

 

 私の考えから言えば、神話が「陳腐なもの・古臭いもの」に感じられる理由って、いってしまえば賞味期限切れみたいなものだと思うんですよね。たとえば聖書の物語が非科学的なんて、ガリレオが科学的手法を開発していた時代から結構な人間が思っていたことだと私は思うのですが、それでも当時そういう話のウケが決して悪くなかったのは、ザックリとした言い方ですが、その物語がその時代の感性に合致していたからだと思うのです。

 現代は世界の変化のスピードがとても速い。今ある常識はどんどん変わっていく。常識どころか、きっと道徳的な感性もすぐに時代遅れになる。(たとえばLGBT問題なんて最たる例だろう)。だから人びとにウケるような物語もすぐに変わってしまう。これが、キャンベルが言うところの、現代において神話が現われなくなったといっている事象の原因の8割ぐらいを占めてるのではないか、と私は考えます。

 その時代ごとの感性に迎合するかどうかが大事なのであって、ストーリーの作りこみのレベルの高さや、示唆的な内容の豊富さ、スケールの壮大さ、などは実はそんなに重要じゃないんじゃないかと思うのです。最初にも書きましたが、精神が高まるきっかけなんてきっと些細なものなのです。

 大事なのはきっと物語のレベルの高さよりも、その時代の人々に響くかどうかの速効性なのです。

 さてここでマンガの話に戻りますが、現代のマンガは、数打てば当たるとでも言いたげに、たくさんの作品が同時に世の中に送られています。数が多い分、きっとそのうちのどれかは現代人のココロにヒットするものが1つでも存在する確率はぐっと高まるでしょう。また、マンガの特徴として、世の中の評判を目にしながら作品の内容を修正することができるというものがあります。これが良いか悪いかはさておき、この点で映画や小説等と比べて柔軟性が高いと言えます。

 だからこそマンガは、変化が激しい現代においては一番神話に近い役割を果たすのだと私は思います。ストーリーの完成度は高いにこしたことはありませんが、高尚なレベルの物語を作ろうとして時代遅れなマンガを送りだすのはもったいないことです。また逆に、少年ジャンプのようにいつまでも作品を延命させるのは、マンガの神話的な価値が生まれようとする現代においてはもったいないことではないかな、とも考えました。

 

 キャンベル先生は、もはや新しい神話が生まれることは難しいと言いました。ならば私たちは、神話よりかは格式が大きく劣る娯楽作品から、神話が担っていた「生きる指針を指し示す」役割を見出さなければなりません。私はマンガが、その役割を負い得ると考えています。

 

今回は今まで以上に取りとめもない内容の感想文になりました。

これで『神話の力』シリーズは終わり、かも。