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1990年代生まれの漫画論。

大事なこと・好きなことを忘れないように。欲しいものを叫び続ける。

【いちご100%】 夢と成長が副題の恋愛漫画。「夢・努力・美少女」。2000年代前半の漫画。

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  いちご100%を読みなおして「異性から応援される喜び」という大切な気持ちを思い出した、という私の話です。いちご100%の魅力の分析に、2000年代前半という時代への考察を加えて、ブログのテーマである「自分はいったい何と欲しがっているのか?何を漫画に求めているのか?」という問いを考えました。西野つかさちゃん大好き。

 

目次

 

 はじめに

 このサイトで語る最初の漫画として、『いちご100%』(連載期間: 2002年から2005年)をえらびました。理由はいくつかあります。

 まず一つ目に、1990年代うまれの世代(とりわけ男性)にとって、『ワンピース』や『ナルト』並みに突出した存在感を放つ作品であり、知名度が高いこと。

 二つ目に、「その当時読者(少年)がなにをのぞんでいたか?」を推測/分析するのに、少年誌の恋愛漫画というジャンルは比較的便利であるように思えるから。

 三つ目に、後の本文にて詳しく書きますが、『いちご100%』は単なるサービス心旺盛なエロ漫画ではなく、夢を追い求める若者をしっかりと描いていること。

 四つ目に、ただ単に自分がこの漫画が好きで、その魅力を語りたくて仕方がないこと。

 そして最後に、1990年代うまれの自分にとって2005年前後とは、人生のなかでもっとも明るい未来を感じていた時代だったように思えるからです。

 そもそも2005年前後ってどんな時代だったでしょうか。

 いくつか昔話をしますと、当時の10代にとって大革命であった「パケホーダイ」という制度がうまれたのは2004年の頃でした。親に隠れて好きなだけ携帯でネットができることに興奮していたものです。愛・地球博が開かれたのは2005年のことでした。当時の目玉はJRのリニア技術だったと記憶しています。日本の技術力の高さに子供ながら胸を躍らせていました。きっとだれもが未来は明るいと思っていました。

 ただ一方で、もちろん暗部といえる部分も当時ありましたが、それらは楽観的な社会の雰囲気にかき消されていった気がします。たとえば2005年ごろにはまだ「派遣社員問題」が今ほど顕在化していませんでした。「自己責任」という言葉が猛威を奮っていて、労働社会の闇の部分は今日ほど表面化していませんでした。非正規労働者の実態に肉薄した赤木氏の有名な主張 『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』が世に出たのは2006年末のことでした。 

 つまり、1990年代生まれの人間にとって2005年前後とは良くも悪くも「お気楽」な時代だったのです。

 世の中の空気が決定的に変わったのは、2008年のリーマンショックと「派遣切り」問題の後だと思います。何が言いたいかというと、つまり、実は、『いちご100%』とは、現代日本の暗部が噴出するよりも前の時代(2002年から2005年)に連載された作品なのです。明るかったあの時代に連載されたってだけで、自分にとってこの作品は特別な意味を持つ気がするのです。

 リーマンショックが起こった2008年から2017年にいたるまで、決して良いとはいえない時代がつづきました。1990年代生まれの大学生が就職活動を始めたのは「東日本大震災」の後でした。

 1990年代生まれの人は、青春の後半部分を、暗い時代のなかで過ごしましたといえます。

 ここで私は考えました。不景気な話にプレッシャーを感じていくうちに、心の余裕がなくなって、たくさんの大切なものを忘れてしまったんじゃないかと。

 だから私は、まだ日本が明るい時代に連載された『いちご100%』をあえて今見直すことで、忘れてしまった大切な何かを思いだすヒントを探ろうと思いました。

 これがこのブログの最初の記事に『いちご100%』を選んだ根本的な理由です。

 

 さて、以下に続く記事は「あの頃は良かった」とい回顧心と「つかさちゃん最高!つきあいたい!!」という実直な気持ちがつづきます。それでも自分なりの考えをまとめたので、読んでもらえると嬉しいです。なおできるだけネタばれを回避できるよう努めてますが、未読の方は注意を願います。

本題

1.『いちご100%』の魅力はなんなのか。

簡単に言うとそれは以下の三つに要素に集約されると思う。

              ・思春期の男の心をくすぐるえっちなイラスト

              ・先が気になるハーレム系の恋愛漫画

              ・夢と成長

魅力の大部分が1番目と2番目のものだとは思うし、散々語りつくされているのでわざわざ言及しようとは思わない。ここで注目したいのは、三つ目の「夢」の要素です。実は、この漫画は一話の時点では恋愛要素よりも「夢」の要素が大きく前面に出ているのです。

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■はじめて東城綾(ヒロインの1人)と出会い、いちごパンツをみた主人公・真中の反応。考えているのは夢である映画のことばかり。出典『いちご100%』1巻

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告白を決めた動機も、スカートがめくれる瞬間を映画にしたいため。恋愛感情はこの時点ではほぼない。出典『いちご100%』1巻

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将来の夢の告白。このような夢についての描写が『いちご100%』の魅力であり、この作品の好きなところだ。しかも真中は今流行りの天賦の才能や血統と言った特別なものを何ひとつ持っていない平凡な男であり親しみを覚える。出典『いちご100%』1巻

 その後も1-2巻のストーリーは、高校で映画を作るという夢をかなえるために勉強して映像部がある進学校の入学しよう、というものになします。お色気なサービスシーンにまぎれて「勉強しよう」というフレーズが多く散りばめられ、漫画を読んでいる側もなにかしなければ、という熱い気持ちになってきます。

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勉強をする環境としては最高の環境だ!!男を何かやる気にさせるには美少女が一番なのだ!!!美少女!!!夢!!そして三角関係!!これだけの要素が揃った序盤の『いちご100%』が面白くないわけがない!!!ちなみに金髪の女の子が西野つかさ。黒髪が東城綾。出典『いちご100%』1巻

 しかし、この「夢と成長」にまつわる要素はいちご100%』の一部でしかありません。既に読まれた人ならみんな知ってますが、『いちご100%』は上でも書いたように、基本的にはえっちな話でできています。たとえば、本編では、節目である高校受験がおわると、夢の話はしばし身を潜め、2巻終了間際に急きょ投入された北大路さつき(ヒロインの1人)の露骨なサービスシーンや、犯罪者外村(真中の同級生男/映研部員)のエロトークやいたずらがしばらく続き、本編にあまり進展がないままエロいイラストが載り続けます。特に重要なイベントも物語上の進展もなく、3巻のほとんどを費やしています。(アンケート対策だったのでしょうか。)

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犯罪者外村(とブルマの東城)。やはり河下先生は最高だ。 出典『いちご100%』3巻

 

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 お色気担当の北大路さつき。基本的にギャグっぽいお色気が多め。 出典『いちご100%』3巻

 ここで、ヒロインたち(西野つかさ東城綾北大路さつき)について少し掘り下げます。下の画像のように作者の中ではヒロインごとに役割が決められていて、「夢と成長」の要素は西野つかさに振り分けられています。この点に注目しながら『いちご100%』を読んでもらえれば、『いちご100%』のお色気以外の魅力(つまり「夢と成長」)が分かると思います。

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 さつきは友達、つかさは夢に向かって成長しあえるヒロイン、東城は同じ夢をもつヒロインとして説明されている。東城はつかさと比べて「落ち込んだ真中を再起させる」ことはあっても、「真中を成長させる」ことが少ないように思える。東城は真中へのアプローチが少なすぎるとネットで酷評されるのも、わからなくはない。出典『いちご100%』4巻

 

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これはほぼ1巻ぶりに登場した西野つかさに弱音を吐く真中。そしてこの後のコマでそれを受け止めてくれて、「やっぱり好き」と言ってくれるシーンは3巻最大の見どころ。つらいときにも支えてくれるヒロインっていいよね!!!最高だね!!!!!ネタバレをさけてあえてそのページは載せないけど、この時のつかさちゃんにはいろいろあって、「好き」だなんて言うくせに、その顔には絶妙に繊細で儚い表情をうかべている。それがすごく可憐なんだ!!こんなにうまく女の子を描くなんて、心から河下先生を敬服する! 出典『いちご100%』3巻

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これは真中が初めて作った映画を文化祭で西野に見せるシーン。満ち足りた真中の顔とは対照的に、映画作製に参加できなかった西野は物言いたげな表情を見せる。これがのちのちまでつづく重要な伏線となる。つかさは決して多くは語らないため(それがつかさの魅力でもあるのだが)、時には西野の行動は説明不足と評されることもあるが、実はこのようにしっかりと描写されていることが多い。『いちご100%』は「夢」の要素と「恋愛」の要素がからまり合いながら話が展開するのでついつい情報量が多くなってしまう。それでもストーリーがテンポよく進むのは、河下先生の高い表現力のおかげである。出典『いちご100%』5巻

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つかさと会うたびに、自分を見つめ直す機会、成長する機会をもらっている真中。思わず走りだす疾走感に読者も思わず熱くなってくる。出典『いちご100%』7巻

 ここまでの説明で、『いちご100%』が「夢と成長」というさわやかな一面を持っている青春漫画であることが伝わったと思います。

 青春物語というのは読んでいると得てして読んでいてさわやかな気持ちになり、ついつい主人公に感情移入してしまうものです。作中のヒロインは「夢」を追い求める真中の姿に心を奪われ、なにがあっても真中を応援をしつづけます。読者はなんだか自分が応援されているような気分になってきます。そんなヒロインたちの応援を受けた真中はいっそうがんばろうとします。そしてその姿にヒロインはますます真中への恋心を深め、真中の夢を応援します。そう、これは「友情・努力・勝利」ならぬ「夢・努力・美少女」の三大原則です。夢を追い求め、努力の味を覚え、美少女に惚れられて、つらいことがあっても女神のような美少女に励まされ、また夢と向かいあい、努力をつづけ、結果がでて、また美少女に尊敬されて・・・・・・という最高のサイクルができあがっているわけです。このサイクルに巻き込まれ読者は『いちご100%』にますます夢中になっていくのです。

 さて、真中の夢と成長をささえてくれるヒロインたちの魅力は十分伝わったと思うので、次のテーマに移ります。

2.その夢は今の時代に見られるか?2000年代前半について

「夢」がこの漫画の魅力の1つであることは既に述べました。

この漫画の魅力への考察を進める前に、ここで真中の夢の内容と環境について整理します。         

              将来の夢は映画監督

              大学に行くのは必須ではないと思っているが、具体的なキャリアプランやコネはほぼなし

              真中本人の学力が特別高いわけではない

              親に財力があるわけでもない

              志は高いが、自己評価が高いわけでもない            

ここで問題提起したいのは、2017年に『いちご100%』が連載されていたとして、はたして真中は同じような夢を語ることができるだろうか。それが読者に受け入れられるのかということです。先に言うとたぶん無理でしょうね。

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今となっては某掲示板でスレが建ち並び、Twitterで拡散され、祭りになるかもしれないレベルの発言に思える。出典『いちご100%』11巻

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ヘラヘラしている場合じゃない。このとき真中は高三だ。出典『いちご100%』11巻

 

 この10年の間に真中の言動はまったく少年少女に共感できないものになっていることが重要です。『いちご100%』の連載時期は2002年から2005年だ。2017年から見ると10年以上前の作品なのです。「夢」と聞いて時に連想されるキーワードは、次に説明するように、2000年代前半と2017年では大きく変わってしまいました。

 ここでもう一度。2000年代前半について、今度は社会的な角度から振り返ってみます。

a.  ゆとり教育

 1990年代生まれと切っても離せない話題がこれですね。わが国では1970、80年代の「受験地獄」「落ちこぼれ」「学校の荒れ」等の教育問題の解決策として、ゆとり教育が80年代以降展開されました。ゆとり教育の狙いは「多様化・個性化」「生きる力」をはぐくむことでした。2000年前半においてはすでに、和田秀樹という予備校教師などが既にゆとり教育への批判をしていたものの、この時点では依然として「受験勉強悪玉論」が世間一般に支持されていました。(Amazonを見ると当時の状況が分かりやすいhttp://amzn.to/2prRLic)。授業内容が改訂されたという意味でゆとり教育が終焉を迎えたのは、2012年度のことです。つまり、『いちご100%』が連載されていた2000年前半とは、ゆとり教育の理念が頓挫する直前の時代であり、高校時代に受験勉強ばかりした人は人間性や独創性で劣るとか、受験勉強をするとある人間的にマイナス効果が出るとか、個性・多様性を持った子供の方が勉強ばかりしてきた子供より能力的に優秀になるとか、そういうことが言われていた時代なのです。皆さん覚えていますでしょうか。言われてみれば、心なしか、中高生の頃の「学園ドラマ」ってよくもわるくも「ゆとり世代」っぽいなぁって思いません???ゴクセンとか青春アミーゴとか(それにしてもなつかしい!)。

b. バブル以降に崩壊した学歴社会

これも避けられない話題ですね。ご存じの通り日本ではバブル崩壊以降長期の不況でリストラが進み、終身雇用、年功序列制度が崩壊しました。その結果、2000年代前半には学歴は価値を失ったように見え、手に職を持つ人間が今後生き残るなどという言説が強くなってきました。そしてそれに応じて、当時の子供(つまり1990年代生まれの我々)の勉強しようというモチベーションは非常に低くなっていました。2017年を生きる我々からすれば、結果として学歴がいつも大きな意味を持っていることは「当たり前」の感覚になりましたし、学歴がない人間のほとんどが「ワーキングプア」問題に組み込まれることもよくあることです。でも、これは今だからこそ言えることで、当時の人には分からなかったのです。冒頭部分でも触れましたが、非正規雇用者問題等が表面化したのは2000年代後半のことであり、2000年前半において人びとは(というよりもその時代に「子ども」をやっていた自分たち1990年代生まれの人は)、世の中結局学歴だという事実を知る由もなかったのです。そんな時に、真中がコネも実力もないのに映画監督を目指すという夢を語ったのです。真中は時代に恵まれていたな!!今の時代だったら絶対ぼろくそに叩かれていたぞ!!真中!!!!。

c. 『世界にひとつだけの花』という曲の国民的大ヒット(2003年3月)

 「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」というフレーズを知らない1990年代生まれの人間はいないでしょう。SMAPの代表曲『世界にひとつだけの花』のメッセージです。まさにその時の社会の価値観を見事にすくいあげたものでした。当時街中やテレビのいたるところで流れ、記録的なヒットしました。「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」という言葉は当時の子供だった我々にも深く響いたことでしょう。中学生高校生にとってNO.1を目指すものはなにかといえば、かなしくもそれはいつの時代も学校の勉強やテストです。2000年代前半に「勉強が第一」なんてつまらない言葉や発想はどこからも出てきませんでした。実際に私のまわりでも、真中の映画監督の夢みたいな夢物語をいう同期の桜はけっこういました。(ただし彼らがいまどこに散っていったかはわかりません。)

 

 a,b,cと『いちご100%』が連載されていた2000年代前半についてサクッと見てきましたが、それにたいして今の時代、2017年はどうでしょう。思いついたことをひたすら羅列してみる。

  1.  ブラック企業問題・ワーキングプア問題が深刻化し、夢を追った若者が食い物にされる「やりがい搾取」という言葉まで生まれた。
  2. 夢を追った人間の末路がどういったものになるかは近年急速に発達したSNS等でなんとなく、伝聞的にわかるようになった。
  3. SNSの発達に対応してマスコミの影響力は低くなり、マスコミから「明るい将来」や「夢物語」だけを聞いて過ごすことはなくなり、ニュースサイトやSNSから「嫌な」「暗い」「現実的な」情報を日々吸収しながら生きるようになった。
  4. 著名な芸能人が「頑張っても報われない」などと平気で言うようになり、SNSはそれを「拡散」させるようになった。
  5. 結婚して子供を授かって家を建てて、という昔なら誰でも手に入った普通の人生は、勉強して良い大学にはいり良い企業に入った人間だけが得られるようになった。
  6. 気が付いたら大学生はみんな勉強をするようになったし、想像以上に彼らは貧乏だ。
  7. 定職につかないフリーターでは安定した人生を送れないということは自明になった。
  8. われわれ1990年代うまれだけではなくその次の2000年代生まれの人間はみな貧困問題におびえていて、将来の夢に「公務員」という職業が現われてきた。
  9. 好きな人と結ばれて子供を授かることにだって「お金」と「責任」という言葉が若者に襲いかかるようになった。
  10. そもそも収入が少なすぎて実家から独立できず結婚ができないという声もあがるようになった。
  11. 日本の既婚率は目に見えるように低下していった。金銭的・時間的な余裕のなさのせいか、一度も恋人がいたことがない若者の割合は高くなってきた。
  12. 「夢」という言葉は実家が太い人間にのみだけ許されること、という風潮まででてきた。
  13. 夢を追ったものの仕事にありつけず、かといって実家が太いわけでもない人間が目の前の窮状にたいして悲痛な声をあげる姿は、SNSで容易に探し出すことができる。

 書いてて死にたくなってきますね。

 このような時代にあっては真中のような凡人で将来に展望がない主人公は共感こそ得られるものの、もしも「将来どうなるかわからないしコネもないけど夢を追い続ける」「しかも恋愛と両立させる」なんて言いだしたら、きっと大いに叩かれることでしょう。見通しが甘かったり理屈が通らない主人公は叩かれてしまうのです。

 だから今の時代、夢を追う少年漫画の主人公は、みんな特別な環境や才能を持っていると私は考えます。たとえば瀬尾公治先生の『風夏』がわかりやすいです。彼らは今就職もしないでバンドをやっています。今後の活動を賭けた全国ツアーをしていますが、なまじメンバーに才能人が集まっているため、正直「あぁどうせ成功するんだろうな」と茶番劇のように思ってました。(この記事を書いたあとに見直してみると実際に何事もなく成功していた!!!)。また、同作品には主要キャラがバンドをやめて家業を継ごうとする話があるのですが、ついたオチが金持ちの彼氏?に助けられるってものです。なんだそれ?結局金とか才能とかそういうものを使わないと主人公たちが夢を追うことが肯定されないのか???と思わず穿ってしまいます。

 だから、真中が2017年に同じ夢を口にしたとして、叩かれないためには、それにともなう実績や才能、もしくはセーフティネットみたいなものが必要なんじゃないかな、と私は思うわけです。

 

3.『いちご100%』の魅力をもう少し深く掘り下げる

 ここまでに述べた私の考えをまとめますと、『いちご100%』の魅力の一つは「夢」であり、その「夢」の担い手は平凡な主人公真中だった、ただこれは2000年代前半だからこそ受け入れられたもので、2017年の現代には難しい話になってしまった、ということです。

 ところで私はたくさんの漫画を今まで繰り返し読んできましたが、『いちご100%』は読後感がずば抜けて良いです。なんでもいいから自分も頑張らないと、という気分になるのです。きっとそれは、主人公真中が夢へ向かって前向きに頑張っていたし、そんな真中にヒロインたちが好意を寄せる姿を見ていたからだ。青春時代につかさちゃんみたいなともに成長していける美少女に会いたかった・・・・・!!!

 ところで、女の子を一番愛おしく思えるときってどんなときでしょうか。いろいろ意見が分かれると思いますが、自分の回答としては、「自分のことを理解してていて、笑いかけてくれているとき」です。それは、『いちご100%』のヒロインたちが異常に可憐に見える理由にも通じていると思いますつまり、「夢」という強烈な真中の個性の部分が強調されることで、ヒロインがより深く真中の個性を理解しているように見えるし、だからこそ、ヒロインが真中に投げかける笑顔には、真中のことを心から愛しているというただならぬパワーがこめられているのです。そしてなにより、真中は平凡な男です。それが読者の真中への感情移入を容易にします。そして我々読者は西野つかさに、または東城綾に、または北大路さつきの笑顔に心を奪われ、好きになるのです!!。平凡な男がモテまくる話はたくさんあるでしょう。しかし、平凡な男があくまで夢を追い求めながら(つまり強烈な個性を振りまきながら)女の子にモテまくる話(しかも、いわゆるサザエさん時空のような時間が進んでいるのか進んでいないのかわからない舞台設定に逃げることはせず、ほどよく作中の時を移ろわせ高校受験~大学受験までの時系列を描ききった作品)はなかなかないのではないでしょうか。

 男がなにか夢を持ち、夢を実現するために頑張る姿を応援する女の子の笑顔はとてもかわいい。ずば抜けてかわいい。しかしそれは逆に言うと、男がなにも夢をもたなければ、その女の子の笑顔は存在しないということだ。リーマンショックが起こって以来、暗い話が目立つようになってきた。東日本大震災が起こった時、人は皆大なり小なり絶望してしまった。現実をみて、現実的に物事を考えるようになった。自分は現実的になり過ぎたあまり、大切なことをいくつか忘れてしまっていた。未来に夢や希望は持てず、楽しいこと、好きなことは少なくなり、自分らしいことよりも将来の安定について考えるようになった。その一方で、2000年代前半は今と比べて明るい話が多かった。気分の問題だとはいえ、未来に希望を持てた。日本のひとりあたりの借金の額だって、2017年時点の半分ぐらいしかなかった。未来に夢や希望がもてた。楽しいこと、好きなこと、自分らしいことを頑張ろうと思える時代だった。

 ここまで考えて私はある考えにいたりました。……そうだ!これこそがきっとこのブログのテーマの問いに対する答えのひとつなのだ!これこそ自分が忘れてしまった何かのひとつなのだ!!つまり、

 

 自分は、最近『いちご100%』を読み返すまで「異性から応援される喜び」を忘れてしまっていたのだ。いつからか、頑張ることといえば受験勉強か、就活対策の資格試験ぐらいになった。趣味や部活動に全力を出すことは稀だった。我々の世代は何をするにも将来への不安が付きまとった。こういった精神的な面だけではなく、お金にも時間にも余裕がなかった。全力で頑張るものがなにもなかったのだ。

 

 異性に応援されるだけの漫画なら他にもたくさんあるだろう。大事なこと(自分が求めていたこと)は、才能がない凡人だけど自分の夢を認めてくれる、つまり自分らしさ屋個性を認めてくれて、自分のことを心から理解してくれている女の子から、たくさん応援されながら、ともに時を刻み、成長するということなのだ。

 結論を単純に言えば、頑張っている姿を可愛い女の子に褒められたいね、という簡単な話だ。ただしそれを漫画に求めるのならば、主人公はあくまで何の才能もない人間に限る。非現実的すぎる環境設定がありすぎると、途端に感情移入が難しくなる。非現実的なのは、美少女揃いのヒロインたちだけでいい。そのような漫画は『いちご100%』以外にどれだけありますでしょうか。はたして、夢を見ることが難しいこのような2017年において、今後同じようなキャラクター像の漫画は生まれてくるでしょうか。願わくば、真中のような特に才能もない凡人が愚直に夢を目指し、愚直に女のことに応援される漫画が出てきたらいいのにな、と思います。

というところで今日の結論です。

 

結論:「異性から応援される喜び」という感覚は大事なものだ。明日への気力になりえる。成長しようと前向きな気持ちになれる。ただしそれは最近の漫画から手に入れることは難しい。なぜなら自分たちの凡人が夢を見て何かを頑張ろうとすること自体がそもそも難しい時代になっていて、その世相は間違いなく漫画にも反映されているからだ。受験勉強や仕事といったような自分らしさが出てこないことに努力をしたってつまらない。夢に向かって努力し、そしてその姿を女の子に認められたい。その思いこそが、自分が忘れていた大切な感情であり、自分が漫画に求めていたものなのだ。自分は美少女に、自分らしさと努力を応援してほしかったのだ。

おわりに

 この記事をダラダラと何カ月かかけて書いているうちに、河下先生が『いちご100%』の続編を番外編みたいな立ち位置で書くと発表しました。東城が主人公とのことですがどうなるんでしょうかね。西野ファンの私は安心して読んでいいんですかね?】どうなんですか、先生??!!

 なにはともあれこれを機に『いちご100%』が再び読まれるようになり、西野つかさ、もといいちご100%』の魅力がみんなに伝わればいいなって思います。この作品は一気読みしないと魅力が半減します。未読の方や断片的にしか読まれてない方は是非ともまとめ買いをしていちごの世界を堪能してください。人によっては私のように、「異性から応援される喜び」を思いだせるかもしれないです。

 

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