1990年代生まれの漫画論。

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『100万の命の上に俺は立っている』 1巻のAmazonレビュー低いけど、面白い

はじめに

今日紹介する記事は『100万の命の上に俺は立っている』です。

私が秘かに注目している奈央晃徳先生の最新作であります。

 

さっそくですが、1巻のAmazonの評価が低いです、このマンガ

後で好きなところを述べていくのですが、今回は、先にマイナス要素を片付けておいた方がいいでしょう。

悪いところ

読んでみて

1巻を読んでみると、好意的な私ですら以下の点が気になります。

 

              テンポが速すぎて読者が置いてきぼり

              異世界モノっぽい魅力が薄い

              リアリティがない

              主人公がなんか生きることに悩んでるけど中二病臭がきつすぎる

              主人公の発言に説得力を感じづらい

             

 異世界モノのマンガとしては打ち切られてもおかしくないレベルです。どうしてこんなことになってしまったのか。まず考えられることは、実はこのマンガは原作と漫画で担当者が分かれていて、うまくかみ合っていないという可能性です。というか、これでほとんど間違ないと思います。

なにが悪いか

 このマンガ、下記画像のように原作担当と漫画担当が分かれています。

 そして何が悪いかと言うと、漫画担当の奈央晃徳先生独特の魅力が浮いてしまっているのです。

 おそらく多くの人が奈央晃徳先生の名前を初めて聞くと思いますので、この作者の魅力を私なりに簡単に説明すると「現実に虚構を混ぜ込み思春期の少年の心情を丁寧に、それでいて軽いタッチで心地よく描写していく」となります。

 このマンガの作者、奈央晃徳先生の前作『カウントラブル』は、ある少年少女たちが、突如現れた魔法少女(ロリ)のポンコツ魔法によってドタバタコメディを繰り広げながら自分の恋心と向き合っていくという素晴らしい思春期ラブコメエディでした。既に完結済みですが、非常におすすめの作品です。

 ただ今作においては、独特の雰囲気と軽さという魅力はただでさえデスゲームとミスマッチを起こしやすいものだったのです。

前作『カウントラブル』と今作『100万の命の上に俺は立っている』の比較

さて、読んでない人にも分かるように、その『カウントラブル』とこの作品をよく見比べて簡単に整理すると、

 

・『カウントラブル』の「魔法少女の魔法という虚構」という要素が、「デスゲームという虚構」

・『カウントラブル』の「思春期的な恋の悩み」という要素が、「どうして戦うのか?頑張るのか?という思春期的な悩み」

 

というように、実は作品の骨格はそのままに要素の中身がスライドしていることに気がつきます。(『カウントラブル』未読の方には分かりづらくて申し訳ないです。)

 要するにこのマンガ、私の見立てでは、奈央晃徳先生にとっては、青春期の少年特有の悩みを描こうとしたマンガであって、デスゲームや異世界モノ的という要素は、単なる舞台装置にすぎないのです。ですから、タイトルを見てこのマンガをデスゲームものだと期待して買うと、肩透かしをくらった気分になると思います。そしてあのAmazonの低評価がうまれたのでしょう。

 そしてそこの部分は、巻末のメッセージを読むあたり、原作担当の山川直輝先生もある程度思いを共有されていると思います。

 ただ奈央晃徳先生はもともと軽いタッチのマンガが得意な人だっただけに、いきなり人の生死をつきつけられる展開にはぎこちなさがありました。きっと山川直輝先生が思い描く世界観を、奈央晃徳先生がうまく描ききることができなかった。1巻のクオリティが低くなってしまったのは、きっとこんなところでしょう。

 ところでこれは完全に私の感想なのですが、山川直輝先生の発想が難解に見える、というのが1巻のぎこちなさの一因かもしれません。単行本には、山川直輝先生が作成された設定資料や創作ノート、意気込みらしきものが載っていますが、すみません、正直に言うと私この人の言っていること、難し過ぎてぜんぜんわからなかったです。これではうまくマンガ化されなかったとしても仕方がないのではないか、と思ってしまうほどです。(ちょっと正直に言いすぎですね)。話を戻します。

 原作者と漫画担当者がうまくかみ合わなかったせいで面白くなくなったマンガはたくさんありますが、漫画担当者の原作への理解が深くなり、段々勢いを取り戻してマンガもたくさんあります。この『100万の命の上に俺は立っている』も、2巻後半あたりからだいぶ洗練されていきます。

このマンガは、最初にうまく漫画化されなかったのが悪かっただけで、原作自体にはもともとそんなに悪いところがないのです。。

好きなところ

 それではこのマンガのどういうところが好きかというと、一言で言えば、読者が少年(特に現代を生きる少年)であることを想定して、積極的に少年の心情に近づこうとしているところです。主人公は極端な性格ではあるものの、現代の少年の特徴を捉えていると思います。知識ばかりあって頭でっかちにちょっと大人ぶっているところとかはむしろ、現代の情報社会に生きる若者をよくあらわしているのかもしれません。

コマ抜粋

主人公の痛いセリフ

 ■1話冒頭からこれ。まさに大人が考えた、今どきの若者って感じの主人公。ただ導入がすべっているためか、この時点では主人公のキャラクター性が薄ら寒いことになっている。

 ■テロなどの時事ネタや、十字軍魔女狩り等中学生高校生大学生が好きそうな言葉をチョイスしてくる。

震災

■もちろん震災ネタにも突っ込んでいく、しかも微妙に俯瞰した態度で。

平和とは

■平和とは何か……。的な。中学生が好きそうな問答。 

 私、こういう中学生が好きそうなものをこんな感じでストレートにぶっこんでくるの大好きなのです。大人になってもこういうのを読むとついゾクゾクしてきます。

 まぁ私の個人的な嗜好を抜きにして考えても、闇深そうな主人公の内面をしっかり描こうとしているのは評価されることだと思います。途中にも書きましたが、今どきの男の子を表わした主人公のココロの闇の部分を浮かび上がらせるために、デスゲームという舞台装置を用意しているんですね。これはありそうでなかったデスゲームマンガの新しい楽しみ方といっても過言ではないと思います。従来のデスゲームマンガで得られるような快感はありませんが、そこに気を取られてこのマンガ独特の魅力に気づかないのはもったいないですよ!

主人公のココロの闇

 このマンガの主人公の闇は思っていた以上に根深いです。また本人もそのことに自覚をもっていて、極端にふっきれた行動を取ります。その極端っぽさが、このマンガの売り文句である「変な主人公」という像を浮かび上がらせています。また主人公の言動が極端だからこそ、なにが闇なのかかえって分かりやすいというか、意外と共感をできる場面が多いです。

 この主人公は中二病を自称するだけあって、本当に痛い屁理屈ばかりこねます。しかし面白いのは、他の登場人物のその屁理屈の受けとめ方に違いがあることです。具体的にどんなやり取りが繰り広げられているかは実際に購入してみてもらいたいのですが、私から今ここで言えることは、主人公以外の登場人物はみんな比較的にマトモそうでありながら何かしら苦労をかかえている分、ひとつひとつのやり取りに見ごたえがあるということです。また基本的には主人公サイドの人間は全員気持ちがいい善人で、後味が悪くなるような喧嘩をしたりしないので、安心して読むことができました。

おわりに

 さてレビューはこれぐらいにしておきますが、このマンガが気になった方はAmazonの低評価に惑わされず是非とも購入して、作者を応援してください!!

(なお私から見ても1巻は微妙なので、買うならば数巻分まとめて買いましょう・)